第4回「プロデュースの原点」
2017年4月某日。
山口活性学園プロデューサー・玉乃井信彦氏へのインタビュー。
山口某所にて。
ひ=ひまわりくん=インタビュアー
玉=玉乃井信彦プロデューサー
ひ:玉乃井さんの音楽との出会いを教えてください
玉:昔、スケボーをやってた時に先輩が日本語ラップというものを教えてくれたんです。それがあまりにも衝撃的ですごくカッコよくて、今まで触れたことのない音楽だったんです。 それまでは世に出回っている流行り物は聞いてはいたんですけどあんまりピンと来てなかったんですよね。 音楽がそんなに好きだと思ったことなくて。 ただその日本語ラップを聴いた時には衝撃的すぎました。自分がやりたいと思っちゃうくらいに。
ひ:そのくらいガツンと来たと。
玉:そうですね。何だこれは!と。めちゃくちゃかっこいいやん!と。
ひ:ラップと言えばアメリカが発祥で、それこそMTVが流行ってた頃にRun-D.M.C.などの印象が強くありますね。80年代初頭でしょうか。日本のラップはいつ頃からあったのでしょう?
玉:80年代の後半にはありましたね。でもその頃のラップといえばやはりアメリカのまねごと的なものでした。もしそれだったとしたらハマらなかったと思います。 僕がハマったのはBUDDHA BRAND(ブッダブランド)※という日本のラッパーなんですけど、ニューヨークにいて向こうで活動してたんですね。それが90年代になって日本に帰って来て、ヒップホップカルチャーというものを踏まえた上での日本語ラップというものをやり始めた人達なんです。むちゃくちゃカッコよくて。。 
ひ:ヒップホップというのは音楽のジャンルに留まらず一つのカルチャーですもんね。
玉:そうですね。彼らが日本のラップのスタイルを確立したんだと思ってます。
ひ:ご自身がラップをやりたいと思われたんですね。
玉:それまではスケボーの大会に出てたりしたんですけど、ヒップホップに出会ってからは思い立ってすぐにバイトして足りない分は親に金を借りてターンテーブル買いました。手始めにレコード回してDJやってみたんです。けれどDJは何かしっくりこなくて(笑)
ひ:玉乃井さんの中では違ったと(笑)
玉:何か違うな、と(笑)僕はどうやら表現がしたかったみたいで。ラップを書いてみたんです。そうしたらラップを紹介してくれた先輩がすごく褒めてくれて。他のラッパーよりも上手いかも?って思っちゃったんですよ、若気の至りで(笑)
ひ:それが自身がラッパーになるきっかけだった。
玉:そこから24歳くらいまで大きなイベントとかでやってました。でもね、やっぱり世の中上手い奴はゴロゴロいるなぁと(笑)
ひ:現実が見えて来た。
玉:そうなんです。そして28歳で”神”に出会っちゃいまして。シカゴのラッパーなんですけど、東京に来た時に見に行ったらグルーブ感がものすごくて。僕がやりたかったことの「頂点」にいるなと感じてしまった。
ひ:彼を越えられない、と?
玉:ええ。で、辞める決心をしました。音楽を一から勉強したいと思ったんです。音楽のことを何も知らないな、自分はって。ヒップホップしか知らないし、ラップしか出来ないし。。そこで路線を変えてプロデュースをすることで自分自身音楽を学んでいきたいなと思いました。
ひ:そんな経緯が。
玉:はい。それであの(インタビューの最初に出てきた)子達をプロデュースすることになったんです。
ひ:12年間ヒップホップをやってこられて、まさか衝撃を受けるとは思ってもみなかったでしょうね。
玉:いやぁ思ってもなかったですね。神様に出会うと人はひれ伏しちゃうんだと思いました(笑)
ひ:私は音楽のことは門外漢なのですが、スポーツを見るのが好きなので例えると、世界トップレベルの選手には到底敵わないと知って競技を辞める選手がいると聴いたことがあります。そのような感じなのでしょうか、、
玉:100メートルを自分が13秒で走れるとします。頑張れば10秒近くには到達できるかもしれない。でもその彼(神)は8秒で走ることができる。そんなのどうやっても無理じゃないですか(笑)
ひ:玉乃井さんにとって大きな転機になったわけですね。
ひ:話を山活に戻します。曲作りで歌詞は玉乃井さんが書かれていますが、曲を書く人は始めから決まってたんでしょうか?
玉:ヒップホップをやっていた時に僕の音楽を書いてくれていた人間がいまして。そのヒップホップのトラックメイカーが今のMETOROSCAPE名義の僕の相方です。
ひ:初めアイドルの曲をオーダーした際に相方は戸惑われませんでしたか??
玉:アイドルをやることになったとき2人でスタジオに籠(こも)ってアイドルの曲を聴きまくりました(笑)
ひ:それは聴きまくりますよね。まずはアイドルとはどういうものかを知ることから始めたわけですね(笑)
玉:当時、当然AKBを聞いたんですが、それまでヒップホップしか知らなかった僕たちはそこで改めてAKBの凄さを知りました。音の構成とか本当にしっかりしてるし、音楽的にすごいことやってるなって素直に思いましたね。
ひ:なるほど。
玉:ジャニーズも聞きました。すごいカッコいい曲なのに敢えてファンが喜ぶような歌詞を乗っけてる。いい意味でベクトルが全然違うんだなと学びました。ちょうど「プリン」を出した後くらいですね。
ひ:アイドルってこういうものなのかなって作ったのが「プリン」だったと。
玉:そうですね。
ひ:そして後にRUN!!へと繋がる。作詞は最初から玉乃井さんだったんですか?
玉:はい、そうです。
ひ:ヒップホップ、ラップといえばリリックが肝ですもんね。
玉:なぜ作詞が自分に向いてると思ったかと言うと、ある某有名作曲家さんのスタジオで録音する機会がありまして。そこのエンジニアさんに「Syngen君のラップは(上手いとかじゃなく)すごく言葉が惹かれるんだよ」って言われたんですよ。言葉にオリジナリティがあっていいね、と。それがずっと頭の中にこだましてて(笑)よっぽど凄いんだな俺って(笑)(笑)
玉・ひ 爆笑
玉:自信になりましたね。
ひ:全曲書かれていますよね?
玉:全曲ですね。
ひ:歌を作られる際には曲が先ですか?それとも詞が先ですか?
玉:基本、曲先(曲が先)ですね。これもラップの表現方法なんですが、トラックがあって言葉を乗っけてくんですよ、絶対に。リズムがないとラップができないので。少なくとも僕はトラックから受ける印象で決めるというやり方をしてます。
ひ:なるほど。
玉:曲をオーダーするときから雰囲気とかテーマを全部伝えて、上がって来たトラックに合わせて詞を入れて行きます。
ひ:もし上がって来たトラックが自分のイメージと違うものだったら?
玉:相方は天才なんですよ(笑)ヒップホップでもジャジーなのとか、アンビエントなのとか本当に器用なんです。アイドルやらせても文句なしです。けれども良ければ採用、駄目なら不採用。そこはシビアに。曲として力があるかで判断しちゃいますね。シンプルです。
「第5回」へつづく
玉乃井信彦
Yamakatsu(山口活性学園)プロデューサー。楽曲プロデュース、マネジメント、レーベル運営。Yamakatsuの楽曲は全て玉乃井氏の作詞による。
※BUDDHA BRAND
日本のヒップホップユニット。1989年に結成。1996年にcutting edgeよりメジャーデビュー。2005年に、MC3人によってILLMATIC BUDDHA MC’Sを結成。
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