玉乃井プロデューサーロングインタビュー#02

第2回「初期衝動」


2017年4月某日。

山口活性学園プロデューサー・玉乃井信彦氏へのインタビュー。

山口某所にて。


ひ=ひまわりくん=インタビュアー

玉=玉乃井信彦プロデューサー


ひ:新規のファンも増えて、5年間の山活のことを知らない方も多いと思います。そこで成り立ちからお聞きしたいのですが。


そもそもなぜ玉乃井さんが山活を手掛けることになったのでしょうか?



玉:きっかけは現スタッフのFさんが新規アイドルプロジェクトに携わっていたんですが、それが山口活性学園を立ち上げるというプロジェクトで。立ち上げるのは良いけれど、肝心な音楽を作る人間がいないということで知り合いの僕に声がかかったんです。



ひ:その頃玉乃井さんは山口在住だったんですか?



玉:いえいえ、東京住みでした(笑)



ひ:えっ?(笑)



玉:僕自身、元々ダンスとボーカルのスクールをやってたんです。山口の地元で。

で、身近で誰かいない?ってなったときに「玉乃井呼ぼうぜ」ってことで招聘されました(笑)



ひ:アイドルの楽曲の話は初めてだったんですよね?お話が来たときはどう思いました?



玉:実はそれ以前にR&Bのグループをプロデュースしていたんです。僕のスクール出身の子たちを。その子たちが面白くて、結成半年でエイベックスのオーディションでファイナリストになって、そのままデビューが決まり某大手プロダクションとも契約しノリにノッてたんです。これはヒット出すぜ!と意気込んでたところでメンバーに予期せぬことが起こりスタート前にあえなく解散という憂き目に会いまして、、、



ひ:そんなことがあったんですね、、、ではそのグループがうまくいっていたらもしかすると山活のプロデュースの話はなかったかもしれないと?



玉:かもですね。で、その話が一段落したところにアイドルの話を頂いた。せっかくなのでもう一度プロデュースをやってみようと。


ただ、アイドルか、、、と(笑)



ひ:その頃はアイドルといえばAKBやももクロという時代でしたよね?



玉:まだももクロのことは知らなかったですね。たまたまとあるメジャーアイドルグループが僕の関わってた東京のイベントに出てまして、初めて見たとき「へたくそ」だなぁと思いました。ダンスも歌も(笑)

と言うのは、当時は日々クラブで世界大会で優勝するような奴らとやってましたし、歌はといえばR&Bの子たちは本当に上手いですから。



ひ:それではアイドルって何?という感じですよね?



玉:当時はダセェと思ってました。今では見方が変化しましたが。



ひ:ある意味真逆のベクトルですもんね。それでよく話を受けられましたね?



玉:知らない世界だからこそやってみようと。



ひ:知らない世界だけにそこに面白みを感じた。



玉:全然畑違いの僕が作ることで何か面白いモノが生まれるかもと考えました。




ひ:「山口活性学園」というネーミングは玉乃井さんが名付け親ですよね?



玉:そうです。(ネーミングを決める)会議で。「もう(山口)活性学園でいいじゃん」と(笑)



ひ:すごい軽いノリだったんですねwww



玉:ダサい名前でいいかなと(笑)発足当初はメンバーをどんどん増やしていく予定だったので。AKBみたいに。だから”学園”でいいよね。ふわふわ歌って踊ろうって(笑)



ひ:まさかの(笑)そしてオーディションとなる訳ですが、受けにきた子たちを見てどうでしたか?



玉:いや、驚愕しましたよ。本当に衝撃でした。この子たちをどう扱えばいいんだろうかと。

歌えない、踊れない。そもそもオーディションで手品??やる?みたいなw 応募の写真ひとつ取ってみても写メだし。ちゃんとスタジオで撮ろうよ、と。こんなレベルの子たちなのか、、、と言うのが正直な感想でしたね。



ひ:メンバー選考も難航したでしょうね。



玉:これは正直無理でしょうと。芸能界目指すのであれば先ず無理ですよ。



ひ:R&Bの子たちを見てきたから余計にそう思われた。



玉:めっちゃくちゃ歌の上手い子ですらレーベルにかからないのを沢山見てきましたからね、、、思えば地元で身近にエンターテイメントに触れる機会はなかなかない。致し方なかったのかも知れませんが。



ひ:そうして船出した山活ですが、初年度はメンバーの入れ替わりとかもありつつ色々と模索されたことと思います。初めは一曲でイベントに参加されていたり。

玉乃井さんの中で魂が入るというか、どのあたりからいわゆる”ガチ”になったのでしょう?



玉:ああ、なるほど。。(考え中)



ひ:初めは知り合いの伝手で手掛けるようになったアイドルという未知のモノ。

それがやがて現在の山活の「全力」「愚直」なスタイルに変貌していく。。。玉乃井さんの中でどのあたりで”スイッチ”が入ったのかが知りたいのですが。



玉:僕の中でガッツリ変わったのは「RUN!!」を出したときでしょうか。「RUN!!」を発表した瞬間のファンの反応が今までとは違ったんです。


ひ:そんなことが?!



玉:「RUN!!」って僕がやりたいことをやった曲なんですよ。それまでの曲はアイドルに寄せていた。



ひ:「プリン」「はろーまいねーむいず」などですね。玉乃井さんの中でアイドルとはこういう感じだろうと。



玉:ええ、そうです。「RUN!!」は初めて僕のやりたいことをやってみようと思ったんです。攻めてる、いわゆる四つ打ち系のクラブポップを取り入れた楽曲にしたんです。



ひ:玉乃井さんのフィールドですね。



玉:楽曲を披露する前、つまり練習していた時なんですがメンバーのやる気も見る見る違ってきたんですね。

あのころは技術の向上を目指して毎回センターをオーディションで選んでたんですが、この「RUN!!」では”はるのとゆいのセンター争い”みたいなことが繰り広げられてましたね。どうしてもこの曲をやりたいんだ!という意志が強く見えたりもしました。

そうして発表した時の周囲の反応も含めて「これだ!」と思いましたね。

※「ノート」1’14”のところにゆいとはるののセンター争いのカットが。




ひ:当然ファンもまさかそんな曲が来るとは思ってもみなかったでしょうね。



玉:興奮してたのを覚えてますね。その当時いたファンの人たちが、すげぇの来た!みたいな。



ひ:そこで手応えを感じたわけですね。



玉:僕が合わせなくても思うようにやることによって本当に面白いことが起こせた瞬間だったんですね。まさに「初期衝動」が現れたというか。



ひ:そういう意味では「RUN!!」という曲はエポックメイキングな、山活にとって変わるきっかけの曲になったというわけですね。



玉:あそこから変わりましたね。全力系に変わる、エモーショナルに感情を表に出すとか。山活が(今の)山活になった瞬間だったんじゃないでしょうか。





第3回へつづく。

玉乃井信彦

Yamakatsu(山口活性学園)プロデューサー。楽曲プロデュース、マネジメント、レーベル運営。Yamakatsuの楽曲は全て玉乃井氏の作詞による。


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